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千葉県

■ 
正中山 法華経寺 (大本山 霊跡) 
 千葉県市川市中山2丁目10-1
 日蓮宗の六大本山のひとつです。法華経寺は、1274年11月に太田乗明の居館に創建した本妙寺(日高上人)と若宮領主の富木胤継(日常上人)の居館に
 創建した法華経寺を合寺して、1431年ころ法華経寺と改称したそうです。江戸時代には寺領50石1斗あまりの御朱印状を拝領した日蓮宗の大本山で、
 江戸三大鬼子母神の一だといわれています。
 また、比叡山延暦寺の千日回峰行と共に世界三大荒行に数えられるという荒行の地でもあります。公開厳禁に荒行堂での過酷な修業を終えた者のみ祈祷の修法が許されています。
 毎年11月1日~2月10日までの寒中100日間の、時には死者も出るほどの過酷な修業です。

※2015年5月31日、10月31日、2016年2月10日、4月9日、12月29日 参拝

2016年2月10日 大荒行成満
       
       
       
       

■ 千光山 清澄寺 (大本山 霊跡) 千葉県鴨川市清澄322-1  HPはこちら
 日蓮大聖人は12歳の時に小湊から入り、道善法師に師事し出家得度されました。清澄寺にて本尊の虚空蔵菩薩に「日本一の智者となしたまえ」と祈願されて以来、鎌倉、比叡山、高野山
 などを遊学し、ひたすら勉学修業に励まれました。諸経・諸宗の教学を学んでいく中で、法華経こそが末法の世のすべての人々を救うことのできる唯一の経典であることを確信されました。
 十有余年に亘る遊学を終えて清澄寺に戻った日蓮大聖人は、1253年4月28日32歳の時、旭が森山頂に立ち、太平洋の彼方から登る朝日に向かって高らかにお題目を唱え、
 ついに立教開宗の第一声をあげました。同時に名を蓮長から日蓮と改められました。

※2015年10月27日、2016年5月22日参拝
     
     

■ 小湊山 誕生寺 (大本山 霊跡) 千葉県鴨川市小湊183  HPはこちら
 日蓮大聖人は1222年2月16日、小湊片海の地に降誕されました。そのとき、庭先から泉が湧き出し、産湯に使った「誕生水」、時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ヶ渕」、
 海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」という不思議な「三奇端」が伝えられています。
 日蓮大聖人は、幼名を善日麿といい12歳までこの地に暮らしました。1264年日蓮大聖人は母梅菊の病を祈願し蘇生させる。延命した母梅菊はそれを祈念し、
 「菩薩荘厳堂」を創建しました。その後、弟子日家上人が1276年10月、大聖人生家跡に一宇を建立し、高光山日蓮誕生寺と称したのが始まりです。

※2015年10月27日、2016年3月26日、5月22日 参拝

■ 小松原山 鏡忍寺 (本山 霊跡) 千葉県鴨川市広場1413  HPはこちら
 日蓮大聖人の小松原の法難の地に創建された名刹。日蓮大聖人の一行が東条景信の一団に襲われた際に、路傍の樹の上に鬼子母神が現れ、危うく難を逃れたといいます。
 しかしながら、弟子の鏡忍坊と信者の工藤吉隆公が殉死、日蓮大聖人の腕を折られ頭部に刀傷を負ったのでした。
 後に日蓮大聖人は2人の菩提を弔うため日隆上人(工藤吉隆公の遺子)に命を下し開創されたのが始まりとのことです。
※2015年10月27日参拝


■ 両親閣 妙蓮寺 千葉県鴨川市小湊129  HPはこちら
 日蓮大聖人の両親の墓所です。1253年清澄寺で立教開宗に、ここに大聖人を祖とする日蓮宗が始まりましたが、日蓮大聖人は第一に父母を教化し、
 父に「妙日」、母に「妙蓮」という法名を与えたのち、自らを日蓮と名乗るようになりました。
 現在は、大孝根本(たいこうこんぽん)の霊跡と言われるお寺です。

※2015年10月27日、2016年5月22日 参拝

■ 真間山 弘法寺 (本山 由緒寺院) 千葉県市川市真間4-9-1 HPはこちら
 737年、行基菩薩がこの地に立ち寄られた際に、里の娘、手児奈の哀話を聞かれ、その心情を哀れに思われ、一宇を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけ、手厚くその霊を弔われたそうです。
 822年弘法大師(空海)が、求法寺を七動伽藍に再建され、弘法寺と改称されました。その後、1275年了性法印尊信と日蓮大聖人六老僧の日頂上人の間で問答があり、日頂上人が法論に勝ったため、
 法華経の道場となり、日頂上人をしてご開山することとなったそうです。

※2015年10月31日参拝

■ 長谷山 本土寺 (本山 由緒寺院) 千葉県鴨川市清澄322-1  HPはこちら
 あじさい寺とも呼ばれる本土寺は、1277年法華堂として始まりました。後に日蓮大聖人により長谷山本土寺と名づけられました。
 池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本」(さんちょうさんぼん)と称されている。「朗門」とは、日蓮大聖人の弟子の日朗の門流という意味
 であり、「三長三本」とは、3か寺の山号寺号にいずれも「長」「本」が含まれていることによります。

※2015年10月31日参拝

■ 広栄山 妙覚寺 (本山 由緒寺院) 千葉県勝浦市興津1195-1
日蓮大聖人が伊豆法難の後、安房帰郷時に創建されたお寺です。伊豆流罪中の大聖人は、1264年病気の生母を見舞うため帰郷したが、母は既に息絶えたところだったそうです。
「定業(じょうごう)も亦(また)よく転ずるのが法華経の功徳である。」と祈願されると母はたちまち蘇生されたそうです。折しもこの地には疫病が蔓延しており、この不思議を聞いた
興津城主佐久間重貞は、大聖人を招いて祈祷をしたところ、直ちに効験が現れたとのことです。重貞は大聖人を城内の釈迦堂に屈請、10月15日から24日まで法華経の説法を
行ったそうです。これにより当寺は「十日間説法の霊場」と呼ばれます。佐久間重貞はこれにより帰依し、出家、日円と号し釈迦堂を日蓮大聖人に献上、大聖人が自ら広栄山 妙覚寺
と名づけられたそうです。

※2016年2月13日 参拝

■ 妙高山 正法寺 (本山 由緒寺院) 千葉県大網白里市小西755
正法寺は、千葉の山並みの静な風景の中にあります。お上人には、事前に電話でお詣りすることを伝えていました。電話した際は留守電になっていたのですが、
ご丁寧にも折り返しのお電話をいただき、お詣りする旨をお伝えしました。御首題帳をお願いしたいときは、事前にご都合を確認されることをお勧めします。
盛期には、900人を超える学僧を擁した小西檀林の旧跡で、小西法縁発祥の地です。しかしながら、明治6年の大火で、檀林は廃止になってしまったそうです。
また、徳川家の東金鷹狩御殿を移した大伽藍が配置されていたそうです。なので、本堂には徳川家の家紋が書かれているのですね。

※2016年3月26日参拝
       

■ 常在山 藻原寺 (本山 由緒寺院) 千葉県茂原市茂原1201
藻原寺に到着したとき、まず驚かされたのが、写真3枚目のインド?にあるような寺院の山門です。高々とそびえ立つ山門は、遠くからでも目立ちます。
藻原寺は、日蓮門下お題目初唱之霊場として知られています。日蓮大聖人は、清澄寺で立教開宗された後、熱心な念仏信者の怒りに触れて直ちに寺を離れ、鎌倉に向かう途中
この地で初めて法華経とお題目の修業を説かれたそうで、そこで「お題目初唱之霊場」と称されたとのことです。
広大な敷地に本堂、祖師堂などがあり、庭には池に大きな鯉が泳いでいました。

※2016年3月26日参拝

■ 正東山 日本寺 (本山 由緒寺院) 千葉県香取郡多古町南中1820
「にほんじ」ではなく「にちほんじ」と読みます。水戸光圀公ゆかりのお寺です。飯高檀林、小西檀林と並び関東の三大檀林のひとつに数えられ、日蓮宗教学の根本道場
として発展した中村檀林の旧跡です。ここの代々の貫首さまも立正大学の学長をされています。女性のお上人様がとてもよくしてくれました。300円を納めるとお寺の中や貴重な品々がを
説明いただきながら拝見させていただきました。とても感激しました。ご説明によれば、開基日常上人は六老僧ではないものの、数々の重要な書物を日常上人に預けたとされており、
その信頼の様子が伺えます。また、日蓮大聖人と日常上人は身延と当地という遠距離にあったことから、日蓮大聖人は日常上人の像を彫られ送られ、また、日常上人は日蓮大聖人の像を
彫られたそうです。そのふたつの像がここ日本寺に祀られています。今回は、ありがたいことに直接拝見させていただくことができました!かつて檀林であったことから檀家がなく、
いろいろ工夫されて維持管理をされているとのことです。桜も素晴らしいですが、「あじさい寺」とも呼ばれているそうです。

参拝:2016年4月9日
     

■ 長祟山 妙興寺 (本山 由緒寺院) 千葉県千葉市若葉区野呂町738
寺事務所の土間に、かわいい豆柴くんがいるお寺さん。かつては、日蓮宗徒の教育殿堂として200年の歴史を誇った野呂檀林とともに隆盛を極めた本化の道場です。
今はとても静かな佇まいです。御首題をいただきたいときは、あらかじめ連絡されることをお勧めします。

参拝:2016年4月9日